ここに書いたことを同人誌にしたい。具体的には
・名字平均化→同じ名字の選手の成績を人数で割って、「その名字の選手に期待できる成績」を出す
・架空チームもの→五十音別チーム、1日生まれ~30・31日生まれチームなどの架空チーム、ドリームチーム
こんな感じ
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- 2017/01/01(日) 00:31:15|
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緒方監督が新井に無理をするなと言ったそうで緒方監督が故・三村元監督鬼軍曹ぶりをリスペクトして厳しい指導をしていると聞いて今年の広島は怪我人続出だろうなと思ったら抑えるところは抑えるんだな、と。緒方監督自身怪我をした経験があるので怪我の辛さというのは分かるからこそ無理をさせないという考えがあったのかも知れない。むやみに怪我人が増えるおそれが軽減して少し安心した。
しかし広島の、特に投手コーチに多いのが入団から引退まで無事是名馬で過ごした系の選手に多いんだけでそういうコーチは大概壊し屋だから信用できない。特に大野北別府安仁屋は三悪といっても過言ではない。逆に怪我をした小林幹英が有能と言われているのもどうしたら怪我につながるかを身をもって理解しているからじゃないかなとも思う。そして新たに入ってきた佐々岡も残念ながら無事是名馬で過ごした系なので三悪が悪役四天王になるんじゃないかと不安といえば不安ではある。
- 2015/01/13(火) 11:22:44|
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架空チーム一ヶ月シリーズの寸評もどきを書く気力がどうしても出ないので他のことでも書いてみようかと。
今回取り上げるのは指名打者制(以下DH)についてなんだけどオチを先に言ってしまうと「現状維持でいい」んじゃないかなと思うわけで。
その理由はやはりDH制全撤廃した時とセパ両リーグにDHを設けた時とを比較した場合を考えたら現状維持が最もマシのように思えてくるからだろう。
まずはじめにもしDH制を全撤廃したらどうなるかを考えてみる。もしDH制がなくなったら打撃は良くても守備に難がある選手に対して活躍の場が減る。この手の選手はもう代打しか居場所がなくなる。そうなると全選手に守備力向上が強制される形になって「一応全部こなせるけど突出したものがない」似たようなタイプの選手が量産化されるのではないかと思う。そして打撃は良くても守備に難がある選手がいなくなることで試合は大量点の期待が少なくなり僅差の貧打戦が増えるのではないかと思う。また、全ての投手が打席に入ることにもなるのでそれが転じて打撃の良い投手が増えることになればよいのだが一方で「打撃の弱い投手のやる気のない三振」が増える可能性も含んでいるので一概に良いとは言えないのではないだろうかという問題もある。
逆に両リーグがDHを導入したらどうなるのかを考えてみる。もし両リーグDH制だったら代打を送るタイミング、継投の妙というものがなくなるだろう。また、DHが導入されることでチームの打撃力は向上し得点が増える期待ができるがそれは打撃戦、乱打戦による大味な試合が増えることも考えられるだろう。加えて投手が打席に入ることがなくなるので投手の打撃力は低下して投手から「9人目の野手」という意識はなくなり単に「打者を抑えるだけの人」に成り下がることも問題点だろう。
ここまでうだうだと垂れ流してきたけれども要するに「両極端はよくない」ということに落ち着く。
そしてついでに言っておくならDH撤廃派の中で「DHは逃げ」だの「DHは甘え」だの言ってる一部の人間が自分は反吐が出るほど嫌だということも付け足しておく。守備ができないから打撃に専念するというのが一部の撤廃派には他のポジションと違いやることが少ないから「手抜き」に見えてしまうのだろう。だがしかし本当にそうだろうか。DHは守備がないから楽なのだろうか。自分はそうではないと思う。DHは守備をやらなくていい、というのは裏を返せば「打撃でしかアピールができない」ということではないだろうか。
つまり普通の野手が打撃と守備の努力をxとyと置いてその合計をzとした場合DHは2x=zの努力をしているのではないかと思う。
また、一部の撤廃派の甘え逃げ理論は種の多様性の否定を意味しているように思えてならない。つまり打撃が良くて守備に難がある選手に対して無理矢理守備力を上げさせようとすることは「角を矯めて牛を殺す」ことではないかと思う。選手の中には打撃が良くて守備は下手だったけれども守備がうまくなった選手もいるだろう。しかしながらそういった選手が全てに当てはまるとはいえない。極端な言い方をすれば野球選手の全員がイチローみたいに走攻守全て揃っているわけじゃないし一部の撤廃派が言う甘え逃げ理論は全ての選手にイチロー化を求めている現実を受け入れたくない、柔軟性のないワガママにしか過ぎないのではないかと思う。
とまぁ色々と脱線してしまったが結局言いたいのは「両極端は良くない」「種の多様性の否定は良くない」「よってDHは現状維持でいい」この3点になるだろう。
ただ、毎年片方のリーグがDHをやるというのは維持しつつもセパでDHを年ごとに入れ替えるという制度はマンネリ打破として有効だと思う。また、DHの逆で指名守備なんてのをやるってのも現実は難しそうだがやってもいいかも知れないとは思う。打撃が悪くて守備が上手い選手が守備固めだけではもったいないのでDHと平等にするために守備にはつくけど打席にはいらない選手を好きに位置に守らせる、例えばそれこそショートとレフトの間にリアルショフトを置いてもいいし捕手の後ろに捕手を置いて捕逸暴投対策をしてもいい・・・みたいな。ほんと自由な配置でリベロ的にやらせてみる感じで。ただそうした場合ポジションは何と呼べばいいかなど色々問題はありそうなんだけど。
- 2014/09/30(火) 16:57:02|
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ちょっと架空チーム一ヶ月シリーズのちまちまとした微修正が進まないのでちょっと他のことでも。
題の通り攻撃的2番打者についての持論でも。
結論から先に言うと攻撃的2番打者は理屈としては誤りではない。ただチームの層がよほど厚くないとできないので現実味には欠ける。と、こうなった。
確かに攻撃的2番打者は1番出塁で2番即打点ですぐに点差が開ける。仮に1番が凡退しても2番がHRで1点は入ると考えると理想的ではある。でもそんなに長打のある選手だったら常識的に考えて普通のチームなら中軸で使ったほうがよくはないかとも思う。長打力とはすなわちランナーを返す能力ともとれるので長打力が高い選手、すなわちランナーを返す能力が高い選手は中軸に置いたほうが機能的ではある。中軸が充実していないのに無理して2番で使うメリットはないと思う。
「チームの層がよほど厚くないと」とは書いたけど攻撃的2番打者が上手く行ったチーム、例えば小笠原が2番を打っていた頃の日ハムにしたって中軸にオバンドー、ウィルソン、片岡、田中幸がいたからできたのではないかと思う。そして彼等(除田中幸)がチームを去って中軸が手薄になった(もちろん小笠原自身の成長もある)から中軸を打つようになったのではないか、と。
あと攻撃的2番打者に対しての自分なりの条件として長打力と俊足の両立がある。長打力を求めすぎて鈍足の選手を2番に置いたんじゃこれはまずい。いくら長打力のある選手でも毎回HRを打てるわけではない。長打を求めすぎた鈍足大砲の2番が単打や四死球で出塁して3番が併殺打を打ったんじゃ意味が無いわけで。
というわけで攻撃的2番打者は理想的だけど実現が難しい。ってことで。個人的には巨人坂本を攻撃的2番として見たい気もするけれど。
- 2014/09/12(金) 01:10:56|
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